
早すぎる死
ナタリー・コールは65歳で亡くなりました。1950年生まれですから、アメリカで言えば 「ベイビー・ブーマー」日本の 「団塊の世代」です。 このサイトの最初のシンガポールでのコンサートは亡くなる一年ほど前だったようです。
死の約1年前のシンガポールジャズフェステイバルの「スターダスト」。
とても美しい最晩年のナタリー・コールの舞台姿です。
人間は、人が死ぬ のは自然な当たり前のことで、問題にすることもない、と大切な人を亡くした時に、そうやって自分を慰めるのでしょうか。 いやいや、一日でも寿命を延ばすために、科学も医学もこんなにも進歩してきたのだ、と言う人もいるかもしれません。
人間が一日でも人生を長く行きたい、可能ならば永遠に生きたい、という不老不死の夢を追い求めてきたからこそ医学の発展はあった、というのでしょうか。それにしては、あまりにも短い人生を人は受け入れなければなりません。
「死にたくない」できることなら、「永遠に生きたい」と思うのは、それは幻想にすぎないのでしょうか。私の友人も45歳でガンで亡くなり、ナット・キング・コールも45歳。そしてナタリー・コールは65歳です。人間の人生は短すぎますね。
例え100歳まで元気に生きることができたとしても、やはり終わってみたらそれは短すぎますね。
人間には人間の命を救うことはできません。ナタリー・コールのドラッグとの戦いは、壮絶だったようです。生身の人間、みんな同じですね。音楽の才能を与えられていてもいなくても。
人間の弱さとひたむきさが迫って来るナタリー・コールの歌と人生です。
ミスター・メロディ ♬〜
「東京音楽祭」での
ナタリー・コールがこの「ミスター・メロディ」で鮮烈なメジャー・レビューを果たしたのは25歳の時でした。
その高音にかけての自由で伸びのあるスキャットは才能に溢れた、「ナット・キング・コールの娘」にふさわしい衝撃的なデビューでした。
あまり調べずに、当時の私はそう思っていました。
日本のテレビにはなかなか入ってこない映像はこのユーチューブ時代になって、溢れ出てきますから、もうすでに、ナタリー・コールが少女期からその才能を認められ、父親と一緒にテレビに出ていた、と言うことをご存知でしょう。
ミスター・メロディ以降ナタリー・コールは1991年にアルバム「Unforgettable 」をリリースするまで、R&B系のシンガーソングライターの道を進みます。
父との再会 Unforgetable
アフリカン・アメリカンが人間として扱われてなかった1950年代にすでにナット・キング・コール一家は大スターの父親が稼ぎ出す収入によって、裕福な家庭を営んでいました。
しかし、ナタリーが15歳の時に父親のナット・キング・コールは肺がんで45歳の若さで亡くなり、そのあとは経済的に豊かな家庭の子供でも、10代の傷つきやすい少女が成長していくのがいかに大変だったかは、のちのドラッグ中毒との戦いなどから読み取れます。
ナタリー・コールが父親との時空を超えたデュエットを実現させ、グラミー賞に輝いた、「Unforgetable」を歌うまで、本当の意味で父親の死を受け止められていなかったのかもしれません。
それ以降は、ナット・キング・コールの歌った様々なジャズスタンダードナンバーをとり上げるようになりました。
そして、コンサートでの彼女はヴィーナスのように美しく、気高い姿でその容姿にふさわしい歌声を聴かせてくれました。
1人の人の人生を一ページで語るのにはいかにも無理があります。