ビリー・ホリディの生涯【奇妙な果実】Strange Fruit / 代表作
ビリー‣ホリディ(Billie Holiday) 本名 エレノーラ・フェイガン(Eleanora Fagan) 別名 レイディ・ディ(Lady Day)
1915年4月7日生ー1959年7月17日没)44歳死没
アメリカ合衆国メリーランド州・ボルチモア
20世紀の女性トップ・ジャズ・ヴォーカリストの一人

 

 

奇妙な果実(Strange Fruit)

この「奇妙な果実」という歌はビリー・ホリディの初期のヒット曲で、のちに自伝として出版された本の題名でもあります。そういう意味でも代表曲といって間違いないでしょう。

 

ただし、ほかのヒット曲などの男女の恋愛を歌った曲とはかけ離れた、特異性を持ったヒット曲と言わなければなりません。この曲を当時のジャズクラブなどの狭い空間の限られた客を前に歌っていたわけですから、それは本当に衝撃的な光景だったと思います。

 

1940年前後のヒット曲なので、第二次世界大戦の最中だったということになるのでしょうか。

 

ビリー・ホリディとの出会い

最初にビリー・ホリディの歌声が私の耳に入って来たのは、10代後半に都心の3畳の貸間に住んでいた時でした。台所はなく共同トイレのみ、お風呂もシャワーもなかったころです。そんな先の見えない若い私の楽しみはラジオで深夜放送を聞くことでした。

 

 

TBSパックインミュージックを聞いていたとき、「ストレンジ・フルーツ」を歌っているビリー・ホリディの声が流れてきました。ほんの数分のそのわずかな一瞬に、この誰とも知らなかった歌手の虜になりました。

 

誰がパーソナリティーだったかは記憶がありませんが、「奇妙な果実」ービリー・ホリディ自伝(1971年)油井正一・大橋巨泉訳 と宣伝していました。すぐに本とLPレコードを買いに行きました。

 

本人の記憶違いか、後年の調査とはいくつかの点で正確ではない内容となっているらしい、そんな自伝ではありますが、目を背けたくなるほどに、十分過酷なものでした。

父母の育児放棄、おぞましい犯罪の犠牲者、そんな人間性を踏みにじられた少女期、母親と共に生活のためにやっていた売春 酒、マリファナ、ヘロイン、あらゆる麻薬依存に落ちて行った44年の栄光と苦悩に満ちた生涯でした。

 

恋愛に似せて近づいて来る男たちを通してもたらされた麻薬とDVの日々。

 

それらはどれか一つを経験しても、人生を崩壊させるに足る絶望の体験でした。

 

たった一人でも、彼女のその才能や過去の痛みを真に理解して、守ることのできるパートナーと出会うことができていたなら、と。

決してそんな人生は有り得なかった彼女の現実を想像すると、胸に痛みを感じます。

どこでそんなに狂ってしまったのでしょうか。でも、もう苦しい人生は終わって、酒や麻薬に逃げる必要は無くなったのですね。

そして今は、深い眠りについているのだと思うと、少しホッとします。

自伝「奇妙な果実」& 映画「奇妙な果実」

彼女が亡くなった1959年から数えるとちょうど60年が経ちましたね。その頃より、より良い世界になっているでしょうか。各国で人種差別がなくなっているでしょうか。

2020年の今日もリンチは世界中で行われ、子どもの虐待も含めてビリーホリディの人生だけが特殊だったとは言えない状況となっています。

 

先日、ユーチューブにダイアナ・ロス主演の映画「奇妙な果実」がアップされていました。当時この映画が公開された1972年というのは、ダイアナ・ロスがスター街道を驀進中の真っただ中の時でした。

 

私はビリー・ホリディのファンとして、すぐに劇場に観に行きました。しかし、あまりにも違うタイプのダイアナ・ロスの歌声が全編に流れるのと、結婚相手のルイがあまりにも美化して描かれているので、ウンザリとしたのを覚えています。

映画にしても音楽にしても、すべては商品、と考えれば、ヒットさせることが至上命令でしょうから致し方ないことかもしれません。かなり、頑張って表現された映画だと思いますが。

 

人間としての尊厳を世界中のすべての人々一人一人が、人種や性別、国別、民族別、思想別、宗教別、出生別、職業別で差別を受けることなく、認められ尊重される。

そんな未来を想像しながら、今晩はビリー・ホリディの歌声に浸りましょう。