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レネー・ゼルウィガー主演 鬼気迫る演技
この「ジュディ虹の彼方に」を映画評論家として人気の高い町山智浩氏が、TBSラジオの番組「たまむすび」で紹介していました。
この映画は、「オズの魔法使い」(1939年作)で主人公のドロシー役を演じた、当時17歳のジュディ・ガーランドの、死の直前最晩年を切り取ったものです。47歳で薬の過剰摂取で亡くなったジュディ・ガーランドの輝かしくも壮絶な人生を描いています。
レネーは歌って踊ることのできる天才的な才能の持ち主ですが、それにしてもジュディ・ガーランドが大歌手だっただけに、自分で歌うのはなかなかできない事でしょう。その歌はただの歌ではなく演技者を超えた生の人間の叫びとでもいえるものです。
この機会にと思い、ユーチューブでジュディ・ガーランドのコンサートやテレビショーを見てみました。こんな才能豊かなスターが裏では厳しい戦いがあったとは。本物のジュディと目の前のフィクションであるはずのレネーの姿が重なり合い、涙があふれました。
町山氏の紹介は、一言で言うと、大絶賛 でした。
映画評論家の「誉め言葉」を今一つ素直に受け取れない私は、実際に見てみるまでは半信半疑でした。と言っても、宣伝用の数分のカットでもうすでに、感動してしまっていた私は、もう見なくてもいいかな、なんて考えたりして。
この3月6日にせっかく封切りされた時にはもう、感染症関連で映画館には行く気がしなくなり、そのうち開館もしなくなりでしたので、一日も早い動画配信を待ち望んでいました。
結論として、町山氏は営業用だけでこの映画を褒めまくっていたわけではない、とわかりました。
昔、映画評論家の淀川長治氏が「紹介する映画は、どんなつまらない映画でも、どこか良い部分を見つけて紹介する」と言ってました。映画に対しても、人間に対しても、そのような見方はとても愛のあることですね。
1966年に始まった「土曜洋画劇場」(のちの『日曜洋画劇場』)の第一回目から毎週楽しみにしていたテレビ番組でした。立川市民会館で講演が行われた時(1968年ごろ)、友人と聞きに行きました。今思い返すと、とても影響を受けました。
ハリウッドでの劣悪な環境 薬物中毒(ジュディの子供時代)
今でこそ、薬物・アルコールの大量摂取による依存は「病気である」ということが知られていますが、それでも、仕事、家族関係、人間関係を破壊するその威力はとても強い、恐ろしい病気なのです。
つまり、「病気」なので「治療」が必要なのです。犯罪者なはずがありません。
犯罪者は自分が依存症にはならず、被害者を出し続けます。もちろん、その被害者がお金欲しさから売人(犯罪者)になる、という場合もありますが。特にアルコールは法律で禁止されていないどころか、飲むことが奨励されているくらいですから、罪が重いですね。
ジュディが陥った薬物と言っても、その当時のアメリカでは法律で禁止されていなかった、睡眠薬、覚醒剤などだったと言われています。
ただし、子供時代から映画産業の中で一家の働き手として心身ともに酷使され、薬漬けになっていったのは、保護者であったはずの母親の責任といって、間違いありません。というより、母親が娘に働かせるために繰り返し薬を与えたと聞くと、もうこれは犯罪としか言えません。
その47年間の短い人生の終わりは突然訪れました。
睡眠薬の過剰摂取でバスルームの中で亡くなったそうですが、自殺未遂が何度もあった人生ということもあり、自殺の可能性も言われていました。
1969年6月没ですから、私も10代でその時のニュースや5回目の結婚相手とのニュース写真などとてもよく覚えています。自殺とばかり思っていましたが、大酒や睡眠薬などで朦朧としていたとしたら、自殺ではなかったとしてもそれはやはり、自殺だったと言えるかもしれません。
ジュディ・ガーランド & レネー・ゼルウィガー
「才能は、生まれてくるときに持ってくる」と昔聞いたことがあります。これって、日本語では一般に、「生まれながらの才能」と言う言い方をすると思いますが、「生まれてきたときに、持ってこなければどんなに練習しても、難しい」
というような意味かもしれません。DNA 遺伝 いろいろ言えますね。ジュディ・ガーランドが最初に「オズの魔法使い」の中で「虹の彼方に」を歌い、14歳のドロシー役を演じたのが17歳ごろだったとありましたので、まさに「生まれたときに持ってきた」のでしょう。こういうふうに歌いましょう、と教えられて歌える歌いっぷりではないですから。
ジュディ・ガーランドは芸人の両親のもとに生まれた3人姉妹の末っ子でした。2歳頃から姉たち二人と組んで歌って踊る芸を披露していました。まさに生まれながらの才能が一家の生活を背負った環境の中で培養され、大きな大輪の花となったのです。
ときれいにまとめたいところですが、このどろどろとしたあまりにも厳しい現実社会の中で、才能はそのようにすくすくと育つ、わけではありません。もし、ジュディが真の愛情に裏打ちされた親に守られながらハリウッドで才能を伸ばせていたなら、それならどんなに感動的だったことでしょうか。
しかし、私たちは現実から目を背けてはならないのです。彼女の苦悩に目を背けるなら、彼女の歌声から真のメッセージと感動を受け止めることはできません。真の愛とは何かもわからないうちに、大人たちの歪んだ欲望の対象にされ、欲望の道具にされ、踏みにじられた、その暗闇とスポットライトに浮かび上がる一瞬の栄光ときらめき。
「Over The Rainbow 」 は1939年制作の「オズの魔法使い」の中で、主人公の少女ドロシーが「虹の彼方」のどこかに、素晴らしい夢のような国がある、と夢見て歌う歌です。実際には、自分が今住んでいる家が一番良かった、ということなのですが。
実人生のジュディ・ガーランドにとっては、自分が住んでいるところは「夢の国」ではありませんでしたが、それでも苦しみながらも生き抜いた人生でした。
2020年のアカデミー賞主演女優賞は?
2020年のアカデミー賞主演女優賞は、レネー・ぜルウイガーの手に渡りました。 レネーによって現代に蘇ってきたジュディは、私たちに一つの事を訴えているのです。
ジュディ・ガーランドのメッセージ
その人生を知った世界中の人々によって、「今というこの現実は、愛に満ちた世界でなければならない」というメッセージ。愛のない、利己的な大人たち、自分の欲望のままに犠牲者を出し続ける犯罪者たちが、巧妙にしかける罠。判断力がないままに人権を踏みにじられる人々。
ジュディ・ガーランドという生身の人間が辿った人生を他人ごとのように遠くから見るのではなく、映画をただの娯楽として済ませるのではなく、より良い世界になることを夢見て、その夢を現実のものにするために戦うこと、それをこの映画は教えています。
「あきらめないで」というジュディ・ガーランドの声が聞こえてくる気がします。このメッセージの波動が世界に広がっていくこと。 それこそがジュディ・ガーランドがその一生をかけて示した未来へのメッセージである、と私は思います。
ハリウッドにとどまらず、世界中で見られる、性虐待、性犯罪、そして様々な依存症、を告発するものでもあるジュディの人生。
その晩年を切り取った、見事な映画「ジュディ 虹の彼方に」でジュディ・ガーランドを偲びたいと思います。